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【書評・要約】『勝負論 ~ウメハラの流儀~』 梅原大吾 著


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『勝負論 ~ウメハラの流儀~』

 

 本書の紹介

【基本情報】

題名:勝負論 ~ウメハラの流儀~

著者:梅原大吾

頁数:256p

出版社:小学館

発売日:2013/10/6

 

【概要】※本書カバー袖部分より

17歳で世界大会に優勝し、「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマー」としてギネスにも認定されている著者が、「勝負」についての考え方を余すところなく綴る。「勝ち続けることと単発の勝ちはどう違うのか」「どうして僕は勝ち続けられるのか、読者がそれぞれの世界で勝ち続けるにはどうすればいいのか」。目先の勝利にこだわらず、成長を続けることで「勝ち続ける自分」を築き上げてきた著者が、自らの経験をもとに明かす「実践的勝負哲学」。

本書のポイント

本書『勝負論』では、前作の『勝ち続ける意志力』執筆時よりもさらに成長した、梅原大吾氏の考え方や生き方、勝負哲学が綴られている。「はじめに」から始まり、1~5章、そして「あとがき」という構成になっているが、各章のポイントを少しずつ確認していきたいと思う。

第1章

「勝ち」と「負け」、そして「勝ち続ける」を定義する

「勝つ」の反対語は「負ける」だが、「勝ち続ける」の反対語は「挫折」である。「勝ち続けている」状態とは、「変化を続け、成長し続けている」状態のこと。勝負をすれば対戦成績上の勝敗は決まるが、勝っても負けても反省をし、自分の中に良い変化、つまり成長があれば「勝ち続けている」と言える。成績としての「勝ち」を収めても、何も変化なく成長できなければ、ある意味「負け」なのである。

いびつな、未完成な自分を抱えたまま走ればいい

恥をかきたくない、ダメな部分を知られたくないというようなネガティブな思いが強過ぎて、何かに向かって走り始められない人がいる。真面目な人ほどその傾向にある。しかし、あれがダメだから、これが気になるから、とりあえず何もしないというのは、一見クレバーなようで、実は自分の可能性を大きく削いでいることに気づくべきである。

第2章

どうして不安になってしまうのか?

子どもの頃、いわゆる「いい子」だった人ほど、実は迷いやすい。課題や目標、進むべき道は誰かが与えてくれるものだと信じていて、疑ったことがないからだ。大人になってしまえば、どうすればいいかは誰も教えてくれない。何を、どうやって頑張るのかは、とにかく自分で考え、自分で始めるしかないのである。

回り道が必ず役に立つ

どんな分野、どんな種目であろうと、心から好きで、心から取り組みたいと思えることについて思考を重ね、成長しようとしてきた経験は、結果の良し悪しに関わらず、必ず何かの形で今後に生きる。知識として、思考力として、意志の強さとして、物の見方として、一生付き合える仲間や親友として、形はいろいろあるだろうが残るものがあり、あとあとチャレンジするその経験に直接関係のなさそうな分野にさえ、生きてくるものである。

向き不向きを考えるな

人に決められることなく、何を頑張るかを自分で設定することが大切である。人に決められたことでうまくいかないと絶対後悔するが、自分で決めたことなら後悔はしにくい。後悔しなければ、うまくいかずに壁に当たった際に思考が発生し、試行錯誤が始まり、必ず次のステップに進むことができる。このようにして何度か当たる壁を乗り越えたり、他の道に行ったりすることで、より良い方向に成長するのである。

第3章

効率を追求しすぎない

一般的に、何かの基礎を固めるにあたっては、その期間が短ければ短いほど効率が良いと思われ、良いこととされている。しかし、基礎固めの段階こそ、最初のうちはボロボロに負けようと、人から笑われようと、納得できるまでじっくり時間をかけて回り道をして考えることが重要である。定石やセオリーとされるものをすんなり受け入れるのではなく、あえて疑い、時には崩してみて、自分で体験し、体験を通して学ぶことで、セオリーの意味を自分で再発見する。セオリーを受け入れるにしても、否定するにしても、この手間のかかる作業を通すことが、その他大勢の人間にはない「絶対的な強さ」につながってくる。

基礎が大事である理由

どんな分野でも、基礎があって初めて個性が生まれ、個性が生きて、その先の「勝ち続ける」世界が開けてくる。よって、まずは基礎を正確に習得し、結果としてまったく意識することなく基礎的なことを出せるようにならなければいけない。そうでなければ、その先の個性は発揮されないし、能力や才能が開花することはないのである。

スーパープレーは無限大に広がった世界で展開される

セオリーや定石の段階をクレバーに、短期間で効率良く抜け出した人は、その後の応用の段階でバリエーションに欠ける。基礎的な段階を抜け出した後は、拡大した自由な世界が広がっているのに、その世界の広さを生かしきれないのである。一方、さんざん常識やセオリーを疑い、時間をかけて定石を学んだ人は、基礎的な段階を抜け出した後のバリエーションが圧倒的に違う。縦横無尽に遊び、好き勝手に活躍でき、誰も知らなかった価値、誰も目にしたことのないスーパープレーを生み出せる。

不器用こそが武器になる

苦労をして得た経験がもとになっていると、絶対といっていいほど揺るがない。知識として頭に刻み込まれているだけでなく、体験として身体に染みついているからである。よって、苦労している世界が好きで仕方なく、本物を目指すなら、何かを残したいと思うのなら、苦手を、特に基礎固めの段階の苦手をスルーしてはいけない。「好き」というエンジンを全開にして、怖がらず、人目を気にせず壁に当たっていくべきである。

分解して反復し、無意識にできるようになればクリア

基礎を徹底的に学ぶ際に必要なことは、分解と反復である。基本的な一連の動作の例として、バスケのドリブルからシュートを考えると、「ドリブル」「ドリブルしながら敵をかわす」「踏み切りのタイミングや体勢」「ジャンプ力」「シュートの正確さ」などに分解でき、それぞれについて検証する。すると、どのポイントで自分がつまづくのかがわかるようになるので、そのポイントを反復して重点的に練習し、無意識にできるようになるまで繰り返す。分解したそれぞれのポイントを、すべてつまづくことなく無意識にできるようになったら、一連の動作を通しでやってみる。すると、最初はできなかった動作が、見事にできるようになっている。

分解・反復することによって「定石の本質」がわかる

分解・反復すると、できないことができるようになるだけでなく、「定石の本質」がわかるようになる。なぜこれがセオリーなのか、どういう構造になっているのか、といったことが副産物として理解できるようになり、将来的に自分の幅を広げる際の強い味方、知識・経験の地盤になる。また、分解・反復が得意な人にはスランプらしいスランプがない。不調に陥っても、分解することで不調の原因を探ることができ、反復練習で克服できるからである。そしてそれを本人がわかっているので、精神面でも追い込まれることがないのである。

「正確さ」「速さ」「力を使わない」を同時に追求する

分解・反復して、技術精度を向上させる際に追求すべきポイントは、「正確さ」「速さ」「なるべく少ない力で行うこと」の3つである。力を入れてプレーすると、興奮し、緊張を高めてしまうので、普段から力を抜いていられるかが大切なポイントになる。基礎力が高い状態とは、これら3つの要素がバランス良く、高く保たれている状態のことである。

長いトンネルの終わりは突然やってくる

何年もかかる下積みでも、半年程度の基礎固めでも、トンネルを抜ける瞬間が来るのは、本当の直前になるまでわからない。だんだん明るくなるとか、遠く向こうのほうに明かりが見える、ということはあまりなく、急にふわっと視界が開ける。よって、その瞬間まではひたすら地味で、我慢我慢の連続であり、終わりがないように思える努力を毎日マイペースに続けるしかないが、経験上、終わりがなかったことはない。

第4章

要領のいいふり、わかったふりは害悪だ

本当はわかっていないのにわかったふりをしたり、要領がいいかのように振る舞う人は最悪の状態にあるといえる。恥をかきたくなかったり、外部からの評価や評判を気にし過ぎてその場を取り繕っていると、自分の思考が阻害され、知識が入らなくなり、成長が止まってしまう。その場の小さなプライドを守るための行動により、何の勝負にも勝てなくなってしまうのである。

「遊び」は、一見無意味だ

観衆が感動するような、興奮するようなプレーは、「遊び」からしか生まれない。誰だってすでに知っているような「完璧さ」「完成度の高さ」を見せつけられても、退屈なだけである。また、「遊び」は成長のためにも不可欠なものである。「遊び」がないことは、リスクであることを認識すべきである。

役に立つ教えは、むしろ観念的なことである

好きという気持ちを持ち続け、成長し続けている人間は、細かい分析を怠らない。結局最後はそういう人間が勝つ。勝負のノウハウや要領、勝負勘で押してくる人間は、最後の最後でそれに勝てないのである。

目標の設定は、「ドーピング」にもなりうる

目標には基本的に日時があり、何か月後に大会があるから、そこに向けて頑張るという形を取ることになる。目標を意識すると直前になればなるほど頑張り、良いパフォーマンスが発揮できることもある。しかし、目標のために一時的に過度に頑張り、その目標が過ぎてしまうと、成長のペースが緩み、その緩んだ分の悪影響の方が大きくなってしまう。自分にしかできないようなプレーを追求したい場合、心に波風を立てず、毎日一定のペースを保つ方が有利なのである。

小さな変化を実感する方法

自分自身が成長し続けることと同時に、成長し続けている事実を自分で把握することも大切な能力である。特に、レベルが上がってくるほど成長を実感しにくくなってくるため、その能力の重要度が増す。成長を実感するには、普段から小さな変化を見逃さず、記録にとどめると良い。少しでも変化を感じたら、後で見返せるようにその場ですべてメモに残すようにする。その作業を続けることで、確実に成長していることを自分に気づかせ、モチベーションを保つことができる。

第5章

幸運で勝ってもおごらない

人間は不思議で、不運で負けた時には運を意識しやすいのに対して、幸運に恵まれて勝ったときは、自分の実力だと過信しやすい。試合の結果が勝ちであろうが負けであろうが、しっかり反省して成長につなげていきたいところだが、どうしても勝てば嬉しくなって不安が薄くなり、反省に気が向かなくなりがちになる。よって、勝った時、特に幸運で勝利を手に入れた時ほど、意識して自分を戒める必要がある。おごりを抑え、本当は反省しなければいけない要素を見逃さないようにすべきなのである。

勝っても負けても泣かない理由

一つの試合に勝とうと負けようと、ここに至るまでの自分自身の価値は変わらない。特に、運に左右されやすいレベルの高い世界での一時の勝敗だけで、人生の勝敗は決まらない。人生の本当の勝利は、もっと細かい、もっと持続的、継続的なところにこそある。

大舞台で緊張しない方法

緊張に対して直接的に対処する方法はない。大舞台の1日よりも、毎日毎日成長し続けられている自分に、心から自信と満足感、そして幸福感を持っていれば、結果として緊張しなくなるのである。

自分の中に、もうひとりの自分を設定する

イライラ等のネガティブな感情を持っていると、当然にパフォーマンスは下がってしまう。思考が乱れ、集中力も削がれてしまう。つまり、そういう感情を持ってしまっている時点で、相手は何もしないまま、自分で勝手に不利になってしまっているのである。

考える前に行動すると感情を支配できる

イライラ等のネガティブな感情が頭の中に起きたとしても、態度に出ないようにすること。ネガティブな感情を外に表現しないようにしていると、不思議なことに心そのものが穏やかになってくる。

自分は自分に影響される

「〇〇な自分になりたい」と思ったら、まずはその行動を繰り返すと良い。優しくなりたいと願うなら、優しい人がする行動を、とにかく繰り返し実践する。すると、自分の思考回路そのものが徐々に変化し、思ったとおりの自分になっていく。自分は自分の行動に影響を受けるのである。

安心を得るために孤独を避けない

成長を続け、勝ち続けている人は、少なくとも一時的には、必然的に孤独になる。仲間の中でひとりだけ成長すれば、レベルが合わなくなってくる。そのときに、自分の成長の持続を大切にするのか、孤独を恐れてレベルを合わせ群れることで成長を緩めるのか、この二つの選択肢は同時には満たせない。孤独に耐えることは、勝ち続けるメンタルを考えるときに、絶対に避けて通れない道なのである。

いつ報われるかなんて、考えなくていい

厳しい期間は思っているより長い。よって、いつ成果が出るのかを考え、目に見えない先のことばかりを怖がっているのは不健全である。大きな成果ばかりを気にするのではなく、努力すること、成長を続けること自体に、充実感や幸福感を得ることができていれば、きっとこの先も大丈夫であり、その状態こそが報われている状態なのである。

まとめ

今作の『勝負論 ~ウメハラの流儀~』は、前作と比べて、より具体的な「勝ち続ける方法」や「勝ち続ける自分の作り方」が語られている。前作に感銘を受けた方はもちろん、今作から読んでも理解できる内容となっているので、何かの世界で頑張っている方にはぜひ読んでいただきたい一冊である。また、「勝ち続ける方法」と聞くと、著者のようなゲームの世界や、スポーツの世界のように、勝ち負けがハッキリする世界にしか関係ないように感じるが、実はそれ以外にも通用する話なので、幅広い方におすすめしておきたい。

 
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