かぼたりあんの足跡

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【書評・要約】『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』 枡野俊明 著


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『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』

 

 本書の紹介

【基本情報】

題名:傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考

著者:枡野俊明

頁数:208p

出版社:文響社

発売日:2017/5/2

 

【概要】※Google Booksより

ニューズウィーク日本版「世界が尊敬する日本人100人に選出された禅僧、枡野俊明。大学教授、庭園デザイナーとしても活躍し、ベストセラーも多数の著者が初めて教える。禅僧の秘密、その「図太さ」の極意。

本書のポイント

本書は、禅僧である著者の経験から、図太く生きるためのヒントを得るための本である。本書での「図太さ」とは、嫌なことやつらいことに押し潰されないたくましさ、苦しい状況や困難な局面に置かれても折れたりへこんだりしないやわらかさ、その瞬間は落ち込んだりめげたりしてもすぐに立ち直れるしなやかさ、自分に批判的な周囲の声に接しても「まあいいか」と受け止めることができるおおらかさなど、生きていくうえで心を強く持っていられる、そういった態度の源流のことである。次からは禅の思考や教えを踏まえた本書の内容を、章ごとに少しずつ見ていくこととする。

第一章

禅は「比べる」ことをもっとも嫌う

他人に比べて自分は劣っているという思いは、心を縮こませるし、悩みや苦しみにも繋がっていく。しかも、他人と比べたところで、自分は何ひとつ変わらない。比べるべきは他人ではなく、以前の自分といまの自分である。自分を見つめ、自分の変化や成長を感じることは、心にとって大きな喜びであり、もっと自分を飛躍させるための原動力にもなる。

「怖いもの知らず」は、「考えすぎる人」にない勢いがある

考え過ぎ、配慮し過ぎると、そこから一歩も進めなくなってしまう。しかし、実際に動いてしまえばなんらかの反応が起きる。いずれにしても、ものごとが回りはじめる。その意味では、相手が誰でも、状況が困難でも、すぐに行動できる「怖いもの知らず」は、熟慮タイプや慎重居士に、はるかにまさるといえる。「考えすぎる人」にはない、がむしゃらな「勢い」がある。勢いは力であり、邪を払って、少々の壁や障害は打ち破ってしまう。運勢という字は「勢いを運ぶ」と書く。つまり、運勢は勢いである。勢いがないところに運はめぐってこないのである。

何かに没頭しているとき、人は恐れを抱かない

結果を出すことが絶対的な目的になると、勝てないこと、評価を得られないことへの「恐れ」が心に入り込み、やがて行動を支配するようになる。結果は、自分の力で直接コントロールすることはできず、あくまであとからついてくるものである。そのことを理解し、目の前のやるべきことに真っすぐな心で全力投入すること、没頭することが大切。そうなれば、結果や評価に関しても恬淡としていられるようになるのである。

失敗への恐れの妙薬は「開き直り」にある

何か行動を起こそうとするときに頭をよぎりやすいのは、「失敗したらどうしよう?」というマイナスのイメージである。特に、真面目で何にでも真摯に取り組もうとする人はその傾向が強い。失敗を恐れるあまりに心が委縮し、行動に踏み出せなくなる。そういう失敗への恐れに必要なのは、一種の「開き直り」である。失敗することもあるのは当たり前のことであり、失敗しながらできるようになれば良い。しかもやってみないと失敗するかどうかもわからない。「案ずるより産むが易し」という諺もあり、あれこれ悩んでいるより、やってみたら案外うまくいくものなのである。

落ち込みの沼から抜け出す「図太い視点」とは

勇気を出して開き直り、やってみても失敗することはある。そこで重要になるのが、失敗の受け止め方である。「できなかった」と落ち込むのではなく、その失敗から真摯に学ぶことで「うまくいくための知恵を手に入れた」と捉える。人は失敗によって成長するのである。何より過去の失敗自体はどんなに頑張っても変えられない。いつまでも過去の失敗に心を揺らすのではなく、成功への糧として、「いま」に集中するしかないのである。

第二章

「一人の時間」を持って、自分を見つめ直す

現代人は忙しく、時間に追われて走り続けている。しかし、止まって見つめ直してみなければ、自分がどんな走り方をしていたのか、どこに向かって走っているのかはよく見えない。走るピッチの修正も、方向の確認もできない。その結果、自分を見失うことになる。「一」度「止」まると書いて「正」という字になるように、少し走ったら一度止まって自分を見つめ直すことは人生にとって大きな意義のあることであり、そのための必須条件は、一人で静かな時間を持つことである。

価値観のちがう人とのつきあい方

価値観がちがう人とつきあうのが難しいと感じるのは、相手の価値観に合わせようとしているからである。相手に合わせるのは、心のどこかで「いい人」に見られたい、「話がわかる人」と思われたいという気持ちから、自分の気持ちや思いを抑えているわけですが、それでは苦しくなってしまう。仮にそれによって相手がこちらを好きになってくれたとしても、相手が好きなのは本来の自分ではなく、相手に合わせている虚像であり、人と人との本当の繋がりだとは言えない。人間関係は複雑なので、完全にありのままの自分でいることはできないが、そこから離れ過ぎないことが大切なのである。

自分の大切な時間を、他人に振りまわされない

時間は限りあるものであり、他人のために自分の時間を削るのではなく、自分が主人公となって使う、それが時間の使い方の王道である。周りに振り回されるのではなく、自分の人生ということを視野に入れて、いまできること、やるべきことを考えて実行する。そのような自分が主人公となって使い切る時間が、自分らしい人生を実現する推進力になるのである。

第三章

損得勘定にこだわると心が窮屈になる

何かをしようとするとき、人はどこかで損得勘定をはたらかせている。損得勘定をした結果、損と感じたことにはやる気を出せないのが人間であり、つまらなく思えたり、おもしろくないと感じてしまう。よって、与えられた役回り等に対しては損得勘定するのではなく、自分に「縁」があったものとして力を尽くし、「縁」を活かし切ることが大切である。どんなことでも力を尽くしていれば、楽しさやおもしろさを見出せないわけがない。心の在り様ひとつで、つまらなくしているのも、おもしろくしているのも自分なのである。

「でも・・・・・・」は動かないことの言い訳

何かに悩んだ時、「でも」は動かないことの言い訳になる。「でも」を自分に許していると、人生は少しずつ後ずさりを始める。「でも」の多発は「やればよかった」の後悔になっていく。「でも」を封じ、まずは動いてみる。動けば何らかの結果が得られ、その結果に対して打つべき次の手は必ずあるのである。

呼吸が、図太さを高めてくれる

仕事でもプライベートでも、緊張する場面は何度となく経験する。緊張して、焦ったり、あがったりしているときの呼吸は、短く浅い胸式呼吸になっている。それを意識して、坐禅のときに用いる「丹田呼吸」に切り替えることで、心は整い、落ち着きを取り戻すことができるのである。丹田呼吸をするには、まず背筋を伸ばし、骨盤を立てる。大きく息を吸い、へそから約7.5センチ下の位置にある丹田を意識しながら、そこにある空気を全部吐き出すような気持ちで、口や鼻から大きくゆっくり長く息を吐き切る。そして、息を吸うときは鼻から吸い、ゆっくりと丹田まで息を落とすことを意識する。これを数回繰り返すのである。

第四章

怒っている相手と同じ土俵に上がらない

怒りに怒りで対応し、怒っている相手と同じ土俵に上がってはいけない。同じ土俵に上がらなければ、ほどなく相手は自分一人で力みかえっているみっともなさに気づき、怒りを収めるしかなくなるのである。その際に気をつけなければならないのは、怒っている相手の前でシュンとしたり、うなだれたりしてはいけない、ということである。怒りに効果があるとみると、さらに拍車をかけて攻め続けてくることになる。相手が怒っている時も含め、常に和やかな表情で接して相手を受け止める図太さを持てるようになることが大切である。

反省は、ピンポイントでいい

何かで失敗したときは反省することが大切だが、過剰にすべてについて反省してはいけない。反省もし過ぎると自分が惨めになってくるからである。問題があった、不足があった部分を見つけて、そこについてピンポイントに反省することが重要である。それが「正しく反省する」ということであり、挫けることなく、成長していくことができる。

第五章

「すべてありがたい」が生きることの原点

世の中を生きていくうえで、基本として心得ておくべきことは、人は関係性に支えられて生きているという意識である。その意識を持ったら、自分と関係を持ってくれるものすべてに対して、生かしていただいているという感謝の念が湧いてくる。それが生きることの原点であり、その原点を踏まえていれば、どんな世の中だろうと着実に前に進んでいける。そしてもう一つ大切なことは、「すぎない」こと。考えすぎない、悩みすぎない、迷いすぎない。人は「すぎる」ことで辛くなったり、苦しくなる。「すぎない」ための妙法は、とにかく躊躇わずにまずは動くことである。

「見切る」図太さを持って、余計なものを剥がす

人の欲望には際限がない。どれほどのものを持っても、それで満足することはない。しかも、一度手に入れたものは手放せない傾向にあり、結果、不要なものが増えていく。特にものを持ち過ぎになりがちな現代人に必要なのは、「見切る」図太さである。服や生活用品、調度品など、使っていないし、この先使う予定もないものは案外たくさんあるはずで、それを見切れば暮らしやすさが増す。また、ものだけでなく、「人」や「情報」なども図太く見切ると良い。心を一番窮屈にするのは人のしがらみである。例えば、気が進まないにも関わらず惰性でつきあっているという状況は、躊躇わず見切るべきである。情報も集め過ぎると、縛られたり振り回されたりするので、必要な情報以外は見切るべきである。これらを見切ることは、暮らしから余計なものを剥がしていくことであり、心を自由にしていくことにつながっていく。

究極の図太さとは、「ただの人」として生きること

人生は、仮の姿である肩書きや地位から離れた、ただの人としてどう生きるか、にかかっている。ただの人としてしっかり生きるということは、人間として成長を続けていくことである。まわりの中でどうかではなく、自分の信条を貫いて生き、現役時代であろうとリタイヤ後であろうと、一日一日踏み出す一歩一歩が、人間として厚みを増すことに繋がっていることが重要である。

まとめ

ここまで個人的に気になる各章のポイントについて確認してきた。繊細な人が図太く変化し、良い意味で「わがまま」に生きていくためには、どのように考え、どうしたら良いか。本書はその問いに答えてくれる良書である。少しでも自分に当てはまりそうな方には、ぜひご一読をおすすめしたい。